AIにコピーできない、最後の3つのこと

「AIは人間の判断を不要にしたわけではない。むしろ、判断こそが唯一意味を持つものへと変えた。」
先週、デザインチームでAIが生成した30個のランディングページをレビューした。30個すべて、出来は良かった。どれが「正しい」のかをめぐって、2時間議論した。
結局、ひとつ選んだ。一番洗練されていたわけではない。ただ、Gensparkらしさを感じた。事前に理由を説明することはできなかった。でも見た瞬間、部屋の空気が変わって、全員がわかった。
大事だったのはランディングページそのものじゃない。選ぶという行為だった。

これまでのSeeing AGIシリーズ8本では、AGIの到来、AIネイティブなチーム、vibe working、トークンによる格差、AIが組織図のなかで人間の役割を書き換えていく様子について書いてきた。そこには名前を付けてこなかった、静かに流れる一本の糸がある。今回はそれを言葉にしてみたい。
今日時点での僕なりの仮説はこうだ。AIがアウトプットをコモディティ化していくなかで、最後までコピーされにくく残るのは、テイスト、判断、そして信頼の三つだ。 それ以外は生成できる。この三つだけは、生成に抗う。
アウトプットは無料になりつつある
2023年、市場分析には2週間かかった。今は4分。ランディングページは1週間。今は昼休み前にできる。きれいな関数は1時間。今は11秒。
これは生産性の話ではない。何かを作るという行為そのものが無料になりつつある ── 生産が無料になると、価値はどこか別の場所に移る。いつもそうだ。録音技術はレコードからアーティストのブランドへと価値を移した。印刷機は写字生から編集者へと移した。PowerPointはデザイナーを殺さなかった。優れたデザイナーへのハードルを上げただけだ。
僕がずっと考えている問いは、もう「どうすればもっと速く作れるか」ではない。アウトプットが無料になったとき、まだ希少なものは何か?
今のところ、僕の答えは三つだ。
ひとつ目:テイスト
書き始める前に正直に言っておきたい。
テイストについて長い文章を書く人間は、ほぼ定義上、自分にはあまりテイストがないことを露呈している ── そう言われても反論できない。この点で僕が一番尊敬している人たちは、テイストの話なんてしない。ただ何度も、何度も良い選択をしてみせて、仕事に語らせる。「良いとはどういうことか」を説明し始めた瞬間、たいていそれを失っている。
このセクションでは、僕は教える側ではなく、学ぶ側だ。
それを前提にしたうえで言うと、自分のキャリアのなかで時間が経っても価値が落ちなかった選択を振り返ってみると ── うまくいったプロダクト、効いてきた採用、報われた賭け ── どれも「最適化された」ものではなかった。その問題を十分に長く見続けて、「正しさ」がどんな顔をしているかを知っている誰かにとって、しっくりきたものだった。
AIはこのメカニズム自体を変えない。AIが変えるのは、量だ。仕事のなかでほんの一部だった「選ぶ」という筋肉が、仕事の大半を占めるようになっていく。

居心地が悪いのはここからだ。僕らの多くは、作ることで訓練されてきた。AIが出した50案を10分眺めたあと、気がつくと自分で書き始めている自分がいる。自分の案のほうが優れているからではない。たいていそうじゃない。ただ、作っているほうが仕事をしている感じがして、選ぶことは静かすぎて、動きがなさすぎて、自分が席に値していない気がしてしまうのだ。
僕が不完全ながらやろうとしているのは、この習慣を逆転させることだ。生成する時間を減らし、見る時間を増やす。なぜAよりBが良いと感じたのか、文章にして言語化する。正しいと確信しているからではない。言語化してみて初めて、自分の直感がどこで校正されていて、どこでズレているかがわかるからだ。
それが練習のすべてだ。作るより遅い。うまくいっているかは、まだわからない。みんなと同じやり方で、いずれわかる。
ひとつだけ、わりと確信していることがある。AIは「選ぶ」筋肉を不要にしたのではない。それを、いちばん大事な筋肉に変えたのだ。
ふたつ目:判断
テイストは、あるものの「どのバージョン」を選ぶかの話だ。判断は、そもそも「それをやるかどうか」を選ぶ話だ。
今年の初め、あるPMにAIを使って「今後半年で僕らが追えそうな、合理的なプロダクトアイデアを全部出してほしい」と頼んだ。長いリストが返ってきた。どれも筋は通っていた。そのうち、「いまの僕らに本当に合っている」と言えるのは、ごく一部だった。
僕らは二つ選んだ。
その二つを選ぶのに費やした時間は、その月にやったどの仕事よりも重要だった。生成は仕事をしている感じがする。「やらない」と言うことは、何もしていないように感じる ── 1年後に振り返って、それがすべてを決めていたと気づくまでは。

「やらない」と言うのが本当に難しくなったと感じるのは、断る声が以前より大きく響くようになったからだ。選択肢を生成するコストがほぼゼロになると、選ばなかった選択肢のひとつひとつが、小さな裏切りのように感じられる。AIのアウトプットのなかに、それぞれ「もっともらしい姿」がちゃんと用意されている。二つ選ぶということは、ほかの55個の「妥当な選択」のそばを通り過ぎるということだ。以前より少ない確信ではなく、より強い確信が要る。
きれいな手法は持っていない。一番近いのは、年上のメンターから教わった習慣だ。毎週、1枚の紙に「今週やらないと決めたこと」と「その理由」を書き出す。これが思っていたよりずっと難しい。週によっては、紙がほぼ白いままだ ── そしてそれが信号になる。僕は本当の意味で決めてなんかいなかった。ただ、一番大きな声で目の前に現れたものを処理していただけだ。
みっつ目:信頼
テイストは「どのバージョンが正しいか」を形作る。判断は「何を作るか」を形作る。信頼は、「作ったことに誰かが意味を感じるかどうか」を決める。
どの競合も同じモデルを使う世界で、ユーザーが問うているのは ── たいていそのままの言葉では言わないけれど ── 誰のアウトプットなら信じられるか? ということだ。どの人、どのブランドが、耳を傾けてもらう資格を稼いできたのか。
信頼は三つのなかで一番奇妙なものだ。自分の会社のなかには存在しない。ほかの人の頭のなかに存在する。生成できない。買えない。ほとんどの会社が辛抱できないほどの長い時間をかけて、ゆっくり積み上げてもらうしかない。

なぜこのシリーズを書き続けているのか、正直に書いておきたい。それぞれの記事は、いろいろな意味があるけれど、ひとつには、僕が完全にはコントロールできない「信頼口座」への入金だ。その口座は、プロダクトとしてのGensparkへの信頼じゃない。公の場でちゃんと見ようとし、間違っていることを声に出して認める覚悟がある人間としての、僕自身への信頼だ。もしSeeing AGIの記事の賞味期限がひどく短かったとしたら、何をリリースしようがその口座は空っぽになる。この取引を冷静に見ておくのは、自分のためにもなる。本当には信じていないことを書かない、という規律にもつながる。
これだけは確信している。AIのアウトプットがほぼ同じになる世界で、ユーザーが最終的によりどころにするのは、あなたが何を作ったかではない。あなたの過去の判断が、時間に耐えてきたかどうかの記録だ。言い換えれば、AI時代の信頼とは、判断の長い影だ。
なぜ書き続けているのか
最近、友人に「なんでこのシリーズを書き続けているの?」と聞かれた。
正直な答えは、自分自身がまだ考えながら整理している途中だから、だ。
僕には13歳の息子がいる。僕の判断にキャリアを賭けている、約70人の会社がある。答えがわかっているから書いているわけじゃない。何かを本気で考え抜く方法として、僕が知っている唯一誠実なやり方が「書き出して、自分より頭のいい人たちにどこが間違っているかを教えてもらうこと」だから、書いているだけだ。
テイスト、判断、信頼。これは現時点での僕のベストな仮説だ。ほかにもまだ見えていないものがあるかもしれない。この三つのうちのどれかは、思っているほど持続的ではないと判明するかもしれない。学びながら書き続けるつもりだ。ここに書いたことのいくつかは、2年後に読み返したら素朴に見えるだろうと思っている。確信ありげに黙っているくらいなら、公の場で素朴であるほうがいい。
ひとつだけ、静かに確信していることがある。機械がほぼ何でもできるようになったとき、まだ意味を持つのは、その機械を使って人間が「何を選ぶか」だ。何ができるか、ではない。何を選ぶか、だ。
いま仕事と呼べるものは、選ぶことだ。
Eric Jing いまも、公の場で考え続けている